映画「グレイマン」を見た

【2023.06.27公開】(2023.02.26視聴)

 ネットフリックスで題名の通り映画「グレイマン」を観た。

もともとこの類のアクション映画が大好きなので、いつのまにかウォッチリストに入れていたところ、Twitterでインドの有名な俳優さんが出ているらしいことを知り、ここ最近のインド熱が高まって、観る決断がなんとかできた!

(あるあるだと思うけど新しい映画やドラマを見始めるタイミング体力・気力・時間すべてがそろってないと難しいよ~。毎回配信サイトにログインして新作徘徊してウォッチリストに追加するだけ追加して満足して閉じるの辞めたい。考える前に再生!)

 

 

【グレイマンのあらすじ】

 工作員として交換条件でCIAに雇われている主人公が、あるとき組織の不正情報のデータを手に入れちゃって、なんか逃げようとしたら世界中から暗殺者を送り込まれて逃げるよ、という話です。よくわからんが師匠的な家族同然のじいがでてきて、その姪の少女とのよくある素敵な萌えベビーシッターのあれもありました。とても良かったです。女の子がものすごくかわいい、綺麗。どうして人間って知らない強いおじさんとそれになつく女の子みたいなペアが好きなのだろう。何度も何度も見たことある。

 

【感想】

 多分しっかり映画で観るのは初めてのはずだけど、主役のライアンゴズリングさんが超カッコよかった。みんな好きです。寡黙で冷静なスーパー筋肉エージェント。かっこいいし、強いし、刺されたりなんだりするけど全然呻いたり叫んだり痛そうな顔したりしない。

一番苦しんでたの、数メートルの落とし穴落とされたときだけ。血吐いてた。飛行中の輸送機がぼろっぼろになってあらシュートもなしに放り出されたときだって無表情だったのに、、、、すげーよ。

 

 

 

 そして、世界各国からスーパー暗殺者が送り込まれてくるというだけあって、インドからやってきた美しいまたしても寡黙で素早いスーパーアサシン(たぶん)の「ダヌシュ」さん!

Wikipediaによると

ダヌシュ(Dhanush, 1983年7月28日 - )は、インドタミル語映画で活動する俳優映画プロデューサー映画監督脚本家作詞家プレイバックシンガーヒンディー語映画にも出演している[2]

インドの南の地域である、タミル語圏の映画界で活躍する俳優で、数々の賞を受賞している有名な人らしい。まだ一作も見れていないので見てみたいなと思った。

 

 映画「マスター先生が来る」のパンフレットの情報によると(このパンフレットにはタミル語映画界のスター名鑑というページがありとても参考になる、すごい、みんな買って、この映画も本当に好き)、

ダヌシュ(Dhanush) 

一般的な映画スターのイメージからかけ離れた特異な容姿とキレのいいアクション&sダンスで若者の間でカルトフィギュアに。英語やヒンディーご作品にも進出。」(2022発行:映画「マスター 先生が来る!」公式パンフレットより参照)

とある。一般的な映画スターのイメージからかけ離れた?!そうなんだ…?調べてみるとすごく細身の方らしくて、そういった点が一般的ではないと言われるのかなと思った。

あまりタミル語界の映画俳優を多く知っているわけではないけれど、体つきがすごくしっかりした人が多いのかもなと思いました!筋肉と脂肪がすっかりしっかり乗っていて重そうな感じ??

セードゥパティさん(タミル民の宝です)もカールティさんもスーリヤさんも重そうだもんな....男としての魅力みたいなものがインドでは肉体に重きを置かれるのかなとかもいくつか映画を見てて思いました!踊ることがここまで大事な点だったらやっぱりそうなるよな~。人間尾美しいの基準は非常に社会的にそれぞれの文化圏で各個人の中に構築されていくものであることがわかる。

すごくすらっとしたでいえば、ヴィジャイさん(大将の方)が思い浮かぶけれど、マスターのカバディで脱いだ時、すっごくムキムキというかずっしり肉体感はあってすごいな~と思たから、ダヌシュさんはもっともっとスリムな感じってことだよね。

 

 

 話を戻すと、ダヌシュさんは紹介されている通りに、アクションキレキレでした!たぶん。基本夜中に闘っていたから暗くてあんまり華麗な身体捌きは見れなかった。

主人公にとっては勿論敵役ではあるんだけども、ダヌシュさんも依頼されてきただけだし、最後にはこの作戦のやり方が己の仁義に反するってことで殺しやめてくれるし助けてくれる好き役でした!

 

 ストーリーとしては王道かつ、アクションシーンがあまりに長くてウケました。町ボロボロだし、現地の警察との戦いみたいなのにはなんでなんで?!てなる。後、最後のクリスエヴァンズさんとの噴水広場?みたいな二人の最終ファイトはよくわからなかった。なんて言ったらいいかわからない。ちょいダサい?アクションシーンを見ごたえのある、画としての美しさ、面白さとして撮ろうとはしてない感じ?確認してみて下さい。

 

でも見てみてください!一作でサッと楽しんで見れます。

以上です。

書き直[2023.02.27]

私の頭の中は、常にうるさい。床には積み重なった本がそこかしこに放置され、躓いて倒してもコーヒーをこぼしても放置されているようだ。

汚い!!!!!!!

常にスマートフォンを抱えてお布団の中にいたい、という怠惰が勝つのに、乱雑さに失望する。

失望なのか?がっかり?

きたねーな!と思いながら、ひどく汚れているように見える床をつま先立ちで歩きながら生活するようで、ストレスがとんでもない。

足先がキンキンに冷えて寒いのに、ありとあらゆる全てが(正常な位置から)はみ出ている汚いクローゼットに向き合い、靴下を取り出すしぐさが途方もない。

それを見たことで片づけなきゃというタスクを脳内にまたまた追加負担することが嫌で嫌でたまらなく、全てが面倒くさくて靴下を一生履けない。(履いたら履いたで床の汚れを全部拾って歩いているんじゃないかと思う変な神経質さで結局靴下も汚い部屋では履けないのだが。)

部屋の綺麗さはその人の精神状況とリンクするっていうよく言われるあれは、本当だと思う。人間なにをするにも余裕が大事だよ、キャパ。

 

 

ここ数年でやるべきことに常に追い立てられるような生活がやっと終わった。数えてみると私の時間と身体の全てが私の管理下になかったこの期間は約八年間だった。

物理的にも心理的な重荷としても「私一人」しかここにいない時間というものが増え、常にいじいじ悶々と思考をしている最近だ。

以前のその時期には、この追い立てられるような生活を心底苦しく感じていて、休日を祖母の家で過ごした時のそろそろ帰らなければならないタイミングなんかは、本当にどこにも行きたくなくて涙がちょびっと出たこともあった。

でも、やることが常に目の前に勝手に用意されていて、ご飯を食べて布団に入れば今日とは違う明日が待っているということはとても楽ちんだ。そんな風に何も考えずに生きていた、それで済んでいたということは私が幼かっただけではなく、そのようにいられるように守られていたということを、ひしひしと今生活していて一歩歩くごとに日々のあらゆるところからそれが染み出てくるように感じる。

 

そして、いまだに思春期が終わった感じはしないけれど、あの時はどうしようもなく揺れに揺れていたと"今なら"わかる。なんであんなに不安定だったんだ?ぱちくりみたいな気持ちだ。

「思春期」とは?社会か保健体育の授業でやるのではないか、「体と心が急に成長して不安定になること」そうやって習って、文字通りを頭に入れたはずだ。それでもその当時にも根本的には理解できておらず、いまやっと”そう”ではない自分に少しずつなったところで自覚した気がする。

なんだあの精神不安定さは?食欲は?行動は?思考は?恐ろしいしけなげでかわいいよね。うん。とてもかわいい。

可愛いまで思えてきたのもやっと最近で良い傾向だと思う。自分を褒める。そうやってよくわからない幼い気持ちの悪い自分を嫌いすぎないように生きていきたいと思う。いや、忘れたいことは山ほどあるけど。みんなこんな時期があるのだろうか。

そして高校時代には離れていた友人とそのころの自分自身について話すうちに、これらのことをすっかりと、しばらくは忘れていたことが最近の気付いたことだ。人間はこううやって、覚えていると自我が壊れちゃいそうな記憶を忘れて、いけそうになった時には思い出せるようになっているのだろうか。

 

 

こんどここらへんの時期の異常食欲についてちゃんと思い出して記事にしてみたい。

私の変にある行動力が、思春期のストレスと今まで買い食いやインスタント製品を禁止されてきたことによる反動が組み合わさって、大きく育ってしまった欲望が大暴れしていた日々について書けたらかこ~。

人の異常食欲行動の記録を見るのが好きだ。ただし、嗜好が同じものに限るから甘未や糖ばかりになると思う。最近読んだ「わるい食べもの」というエッセイの、執筆中にスナック菓子の様に飴玉をぼりぼり食うという記述があってとても安心した。そんな生活してたら死ぬかなという恐ろしい不安があったから、この人がこうやって元気に生きているのなら私もまぁある程度までならいけるかと思った。(追記:2023.02.27)今日はてんちゃんのハピバだ~

 

すっきりしたのでここまでにしよう!

ごっちゃごちゃしたものを、自分の頭の外からちょっと取り出して整理したくてブログを始めた。誰も見ていないらしいからnoteじゃなくて、はてなブログにしてみたけどいいね!まあ、誰かが読んでみてくれるかもっていう期待感も持ちながら文章を書けるのも楽しいのでありです!

人の頭の中垂れ流し状態を読めるなんて本当にまれな体験というか、レアだよねインターネットって。すごいなあ。インターネットがあってよかった~。適当に外に出して、あとで読み返すの結構楽しいから書こう。なんでもいいから何かを続けていって積み上げていくことって一つの自己肯定感に繋がるよね。

 

こんな感じのことをたらたら書いている人は世界に無数にいるんだと思う。他の人のものも読んでみればカッチカチの頭が柔らかくなりそうな気がするね。暇なときに読もうかと思っているけど人の思考に影響されやすすぎるとこあるから、元気な時にしよう。

頭の中がいつもごちゃごちゃだ

私の頭の中は常にうるさく、積み重なった本がそこかしこに放置され躓いて倒してもコーヒーをこぼしても放置されている。

汚い!!!!!!!

常にお布団とスマートフォンとそのままでいたいという怠惰が勝つのに、乱雑さに失望する。

失望?がっかり?きたねーな!と思いながらつま先立ちで汚れているように見える床を歩きながら生活するストレスがひどく大きい。足先がキンキンに冷えて寒いのに、全てがはみ出ている汚いクローゼットに向き合い靴下を取り出すしぐさ、片づけなきゃというタスクを脳内に追加負担することなど全てが嫌で面倒くさくて(履いたら履いたで床の汚れを全部拾って歩いているんじゃないかと思う変な神経質さで)靴下を一生履けない。だから、部屋の綺麗さはその人の精神状況とリンクするっていうんだと思う。人間なにをするにも余裕が大事だよね。キャパ。

ここ数年でやるべきことに追い立てられるような生活がやっと終わり、私一人しかここにいない時間というものが増え、常にいじいじ悶々と思考をしていた。以前の生活を心底苦しく感じて休日を祖母の家で過ごした時なんかは本当にどこにも行きたくなくなって涙がちょびっと出た時もあったけど、やることが常に目の前に勝手に用意されご飯を食べて布団に入れば今日とは違う明日が待っているということはとても楽ちんだ。何も考えずにすんでいたということは私が幼かった、ということだけではなくそのようにいられるように守られていたということをひしひしと今染み出るように感じる。いまだに思春期が終わった感じはしないけれど、あの時はどうしようもなく揺れに揺れていたと今ならわかると思う。なんであんなに不安定だったんだ?「思春期」とは?社会の授業か道徳の授業?保健体育の授業でやるのか。「体と心が急に成長して不安定になること」そうやって習って、文字通りを頭に入れたはずなのに、その当時にも根本的には理解できておらず、いまやっとそうではない自分に少しずつなったところで自覚した。なんだあの精神不安定さは?食欲は?行動は?思考は?恐ろしいしけなげでかわいいよね。可愛いまで思えてきたのもやっと最近で良い傾向じゃないかと私を褒めたい。みんなこんな時期があるのか。そしてこれらをすっかりと、しばらくは忘れていたことが最近気付いたことだ。人間ってこうやってできているのかな?こんどここらへんの時期の異常食欲と変にある行動力によって今まで禁止されてきたことによる反動で多分大きく育った菓子インスタント食品などの買い食いへの欲望を書けたらかこ~。

 

すっきりしたのでここまでにしよう!ごっちゃごちゃしたものを自分お頭の外からちょっと整理して出したくてブログを始めた。誰も見てないらしいからnoteじゃなくてはてなブログにしてみたけどいいね!まあ誰かが読んでみてくれるかもっていう期待感もあります!人の頭の中垂れ流し状態を読めるなんて本当にレアだよねインターネットって。適当に外に出して、あとで読み返すの結構楽しいから書こ~。何かを続けて積み上げていくことって一つの自己肯定感に繋がるよね。

 

こんな感じのことをたらたら書いている人は世界に無数にいるんだと思う。他の人のも読んでみればカッチカチの頭が柔らかくなるね。暇なときに読もうかと思っているけど人の思考に影響されやすすぎるとこあるから、元気な時にします。